
歎異抄 (岩波文庫)
金子 大栄
講談社 / 2000-09-10
この本について
最近、人と話していても自分の判断がどこまで“自分のもの”なのか分からなくなる瞬間が多いです。善悪を言い切れない場面も増えて、「結局どう考えればいいんだろう」と立ち止まることがよくあります。そんな時に『歎異抄』の注釈を読み直すと、少し肩の力が抜けるというか、自分のモヤモヤをいったん受け止め直せる感じがありました。 この本は、親鸞の思想を「教義」よりも「心の動き」から読み解こうとしていて、そこが今の悩みに妙に合うんです。たとえば、凡夫が是非善悪を論じても結局“そらごと”に近い、という一節。これが逃げ道ではなく、「判断しきれない自分」を前提にしても生きていいという視点につながるのがありがたいところです。また、“仏になる”を現実離れした理想ではなく、「硬直でも柔弱でもない健全な身心」として捉え直す説明は、完璧を目指すより、いまの自分のまま動ける余白を作ってくれます。 そして何より、この書が“個人の心境”の記録であるという指摘が効いてきます。誰かの悟りを崇めるのではなく、「迷いを抱えた一人の人間が何を感じたか」をたどる読み物として向き合うと、自分の中の言語化しにくい不安が少し整理されるんですよね。念仏や他力といった言葉も、抽象的な救いではなく、人がどうやって自分の力では扱いきれない現実と折り合いをつけてきたか、という実感の話として読めます。 自分の考えだけではどうにもまとまらない時、もう少し違う角度から“人間の限界”を扱いたい人に向いている一冊です。
読書インサイト
ハイライト密度
多くの読者は第2章に最もインサイトを感じており、全ハイライトの37%が集中しています。
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