
西田幾多郎の哲学=絶対無の場所とは何か (講談社選書メチエ)
中村昇
講談社 / 2019-12-12
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推定読了時間 約5時間2分
star総合評価 61/100
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この本について
最近、人の死や別れに直面したとき、「結局この痛みはどこへ行くんだろう」と考え込んでしまうことがあります。時間が流れても、悲しみがそのまま残っていて、むしろ自分の中の矛盾だけが浮き上がってくるような感じ。整理しようとしても、そもそも“整理できる前提”が間違っているのでは…と行き詰まることもあります。 中村昇『西田幾多郎の哲学=絶対無の場所とは何か』は、その行き詰まりに直接触れてくる本でした。悲哀は消えるものではなく、矛盾のまま抱え込まれて存在し続けるという視点や、「いま感じている私」はいつも背景に沈んでいて、自分の正体そのものには決して手が届かないという感覚。こうした説明が、無理に前向きになるよりも、むしろ自分の感情が腑に落ちるきっかけになりました。また、時間の流れではなく“意識の側が先にある”という発想に触れると、過去をどう扱うかの感覚も少し変わります。思い出に振り回されるというより、「流れていくものをただ前面で受け取っているだけなんだ」と思えるようになる。 哲学書ではあるのに、悲しみや喪失を経験した人の動きを丁寧に拾い上げてくれるので、抽象論だけで終わらないのが救いでした。じっくり自分の内側を見つめ直したい人に刺さる一冊です。
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出版社による紹介
『善の研究』から「場所の哲学」へ――。西田の哲学遍歴は「場所の哲学」にいたって、ついに独創的な境地にいたったとされる。『善の研究』の冒頭に出てくる「純粋経験」からはじまって、後期の「絶対無の場所」にいたる思考とは、どのようなものなのか。近年とみに影響関係が指摘されるベルクソンとの関係、あるいは仏教の時間論と西田の時間論の共通点と相違。フッサールやレヴィナス、あるいは鈴木大拙、井筒俊彦にいたるまで、あるいは量子論との相関など、様々な角度から丁寧に参照しつつ、著者はするどい考察を繰り広げて、独自のスタイルで西田の本質に迫っていく。それは西田自身の言葉をかりれば、さながら「悪戦苦闘のドッキュメント」の様相を呈しつつも、きわめて鮮明に、西田哲学の真のすがたが浮かび上がってくる。「存在と無」(=あるとない)という、われわれがごく日常的に想定する対立の以前に、「場所」というものを考え、そこに人間の根本をみようとした近代日本哲学の巨峰を、これまでにない明解な叙述で味わい尽くす力作!
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