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眼がスクリーンになるとき

眼がスクリーンになるとき

福尾匠

フィルムアート社 / 2018-07-25

累計読者数3
平均ハイライト数 19件/人
推定読了時間 約3時間46分
star総合評価 53/100
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この本について

日々スクロールしていると、目には入っているのに「自分は何を見ているんだろう」とふと不安になることがあります。仕事でも生活でも、情報に触れているはずなのに、理解している実感がない。見たままの光景と、その背後にあるはずの意味がズレていくような感覚です。 『眼がスクリーンになるとき』は、そのズレを無理やり埋めようとはしません。むしろ、見えているものと見えていないものの境界がどう成り立っているのかを、映画と哲学を行き来しながら丁寧に問い直してくれます。たとえば「すべてがイメージである」というベルクソンの発想や、モンタージュが時間の感じ方を変えてしまうという指摘は、日常の些細な場面――誰かの表情の一瞬をどう読み取るか、画面越しの情報にどう反応するか――にそのままつながってくるところがありました。見るという行為にこんなにも選択と不確定性が含まれていたのか、と気づかされます。 派手に人生を変える類の本ではないのですが、「見えていなかった層に手が届く感じ」が静かに残る一冊です。映画が好きな人はもちろんですが、最近「情報の扱い方に自信が持てない」と感じている人ほど刺さると思います。視線の奥にある思考のしくみを、いったんリセットして考え直したいときにちょうどいい本でした。

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書籍情報(出版社紹介・目次)expand_more

出版社による紹介

20世紀最大の哲学者、ジル・ドゥルーズが著した芸術と哲学をめぐる伝説的大著『シネマ』がわかる! 思想界に颯爽と現れた26歳の新鋭、衝撃のデビュー作! 映画という特殊な経験のシステムから立ちあがる、イメージがそれ以上でもそれ以下でもなく見たままで現れる地平、「眼がスクリーンになるとき」とはどのようなことか。 「たんに見る」ことの難しさと創造性をめぐって書かれた画期的入門書。 「映画とは何かを考え抜いたジル・ドゥルーズの伝説的著作『シネマ』が、本書によって、ついにわかる。『シネマ』のロジックを一歩一歩解きほぐす、目からウロコの超解読。そして、これは映画だけの話ではない。あらゆる芸術・文化を考えるのに役立つツールがここにある。」 ―――― 千葉雅也 『シネマ』は不幸なすれ違いを被ってきた、と著者は言う。哲学研究者からは「映画の本だから」、映画研究者からは「哲学の本だから」と、読まないでいる理由が用意されていたからだ。本書は「ゼロから読む」という副題のとおり、ジル・ドゥルーズの『シネマ』という書物の入門的な解説書である。したがって本書を読むにあたって、ドゥルーズについても、哲学についても、映画理論についても事前に知っておく必要はない。映画をどれだけ見たことがあるかということもまったく問題にならない。本書では映画作家、作品について可能な限り言及しない。つまり、ただ純粋に『シネマ』を読んでみたい、興味があるというひとにこそ、ぜひ手にとってほしい本である。 本書では、『シネマ』にとって、映画は、哲学の「フッテージ(footage)」、つまり「思考の素材=足場」であると捉えなおすことから議論を開始する。その映画というフッテージに、もうひとりの重要な哲学者アンリ・ベルクソンの哲学が流しこまれることで、映画は、「イメージ=映像による〈思考〉の実践」として立ち現れてくるのだ。『シネマ』と「映画」の関係、ドゥルーズとベルクソンの関係というふたつの問いは、哲学にとって「見る」ことと「読む」ことがいかにして概念の創造へと導かれるかということを指し示している。そのとき観客である私たちはどんな存在へと生成するのか。 本書は、「見る」ことと「読む」ことの復権を同時に実現するだろう。
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