
仏道に学ぶ 心の修め方
白取春彦
ディスカヴァー・トゥエンティワン / 2017-05-26
累計読者数4
平均ハイライト数 11.3件/人
推定読了時間 約2時間28分
star総合評価 55/100
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この本について
最近、物事を自分でややこしくしているだけなんじゃないか…と感じることが増えていました。悩みが膨らむときって、実体のない想像や不安を自分で付け足してしまっているなとわかっていても、そう簡単には手放せないんですよね。 この本が少し違ったのは、「悟り」みたいな大きな言葉を遠い理想として扱わず、ただ“ありのままに見る”という、ごく地に足のついた態度として説明してくれるところでした。いらいらしたときに「あ、今の自分はこういう心の動きなんだ」と一歩引いて見るだけで、余計な解釈に振りまわされなくなる。悩みを悩みとして名づけているのは自分の側なんだと腑に落ちると、目の前の問題が少し輪郭を変えて見えてきます。 そして、本が繰り返し語る“縁起”の考え方。原因探しではなく、「関係の中で生きている」という実感に立ち戻ることで、自分の行いがどんな小さなものでも必ず何かに連なっていくとわかる。善い行いが必要以上に重たい義務ではなく、「今ここ」を澄ませるための選択として捉え直せるのが、自分には大きかったです。 日常のモヤモヤが“勝手な解釈の積み重ねかもしれない”と感じている人に静かに効く本です。
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出版社による紹介
本書は日常生活の中でブッダの智慧を実践し、悟りに至ることを目的としている。 誰でも、悟ることが可能なのだ。 悟りはずっと誤解されてきた。その大きな誤解には二種類ある。 一つ目の誤解は、悟りを得れば神通力、すなわち特別な超能力のようなものが備わるというもの。 この誤解は、ブッダという尊称で呼ばれたゴータマ・シッダールタの用いた比喩や形容の表現を、ついに悟りを経験しなかった弟子たちがそのまま事実としてとらえ、その解釈がさらに拡大したことから生まれた。 もう一つの誤解は、実際に悟るのは凡人にとってはなはだ困難だというものだ。 しかし、悟りがそれほど困難なものであるならば、ゴータマ・シッダールタの説いた仏法は最初から多くの人にとって縁遠いものであろう。ゴータマ自身、これは誰にでもできる簡単な方法だと述べたにもかかわらずである。 解脱、悟り、涅槃、これらの言葉は人がある清々しい状態になったときの表現の一つにすぎない。 それらの言葉の内実は、想像や思惑や怖れをまじえずに物事をありのままに見るようになったということだ。そういう態度で生きるのが悟りの境地である。ただそれだけのことにすぎない。境地とはいうものの、超然とした場所に立つことではない。 だから、修行によって悟ることなく、また仏教をまったく知らずとも、悟りの境地で生きている人も当然いるわけである。その態度は、物心がつかない幼児と同じである。 悟りが仏教だけのものであるのならば、普遍的なものではない。普遍的でないならば、人間にとって真実ではない。 悟りはいつの日にか目指すべき遠い究極にあるものではなく、あくまでも出発点である。 そこから善の実現に向かって生きるのが本道である。だから、ゴータマ・シッダールタは善く生きること、人間倫理を重ねて説いたのだった。
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