
なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか 日本と中韓「道徳格差」の核心 (PHP新書)
石 平
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この本について
歴史や思想の本を読んでいると、「なんで同じ孔子でも、国や時代でこんなに扱われ方が違うんだろう…」と戸惑うことがありませんか。中国の儒教と、日本で受け継がれた論語の雰囲気が結びつかず、もやっとしたまま放置してきた人も多いと思います。僕自身、論語の言葉に救われる瞬間がある一方で、儒教の“息苦しさ”の正体がずっと気になっていました。 この本は、そのモヤモヤをかなり具体的にほぐしてくれます。刺さっている人が多い抜粋を見ると、ポイントは三つあるように思いました。ひとつは、儒教が孔子とまったく同時代に生まれたわけではなく、何百年も後の政治事情のなかで「五経」や「天人相関説」が作られ、国家イデオロギーになっていったという距離感がはっきりすること。もうひとつは、孔子その人の語り口や「知るとは、知らないことを知らないと言えることだ」のような素朴で人間的な姿が、いかに後世の儒教とズレているかが見えてくること。そして、日本の町学者・伊藤仁斎が『論語』にある“人間の愛”に立ち返り、朱子学を批判した流れまでつながるので、儒教が一枚岩ではないことが腑に落ちます。 「論語は好きだけど、儒教はどうも重い」と感じてきた人に向いています。歴史の知識よりも、自分が普段触れている“ことば”の源流を知りたい人にちょうどいい一冊です。
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