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所有論

所有論

鷲田清一

講談社 / 2024-02-01

累計読者数4
平均ハイライト数 127.5件/人
推定読了時間 約7時間35分
star総合評価 75/100
menu_book精読型
check_circle推定完走率 46%

この本について

最近、「これは自分のものだと言える範囲ってどこまでなんだろう」とか、「自分の身体や時間まで“資源”として扱われている感じがして落ち着かない」といったモヤモヤを抱えている人、多い気がします。仕事でも生活でも、境界線の引き方がうまくつかめないというか、そもそも“所有”って何なのかを考える機会ってあまりないですよね。 鷲田清一さんの『所有論』は、その当たり前に思っていた「自分のもの」という感覚を、一度ほどいて考え直させてくれる本でした。たとえば、ownやoweの語源をたどりながら、“所有すること”と“誰かに借りがあること”が本来はつながっていたという指摘に触れると、私たちがふだん信じている「自分のものだから好きにしていい」という発想が、実はかなり特殊なものなんだと気づかされます。また、自分の身体すら交換可能なモノとして扱われる瞬間がある一方で、それでも身体は他者に開かれている存在でもあるという視点は、働き方や人との距離感を考えるときにじわじわ効いてきます。 読みながら、自分が「所有」という言葉にどれだけ無自覚に頼っていたかを思い知らされましたし、他者との関係をどう見直すかという問いにも自然と向き合わされました。ひとりの閉じた主体としてではなく、世界とのやり取りの中で“自分”が形づくられる感じが、少しだけ腑に落ちた気がします。 自分の在り方を「持つ/持たない」ではなく、「どう関わるか」で捉え直したい人にはすごく刺さる一冊だと思います。

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書籍情報(出版社紹介・目次)expand_more

出版社による紹介

主体と存在、そして所有。著者の重ねる省察は、われわれを西欧近代的思惟が形成してきた「鉄のトライアングル」の拘束から解き放つ! 「ほかならぬこのわたし」がその身体を労して獲得したものなのだから「これはわたしのものだ」。まことにもっともな話に思われる。しかし、そこには眼には見えない飛躍があるのではないか……? ロックほか西欧近代の哲学者らによる《所有》の基礎づけの試みから始め、譲渡の可能性が譲渡不可能なものを生みだすというヘーゲルのアクロバティックな議論までを著者は綿密に検討する。そこで少なくともあきらかにできたのは、「所有権(プロパティ)」が市民一人ひとりの自由を擁護し、防禦する最終的な概念として機能しつつも、しかしその概念を過剰適用すれば逆にそうした個人の自由を損ない、破壊しもするということ。そのかぎりで「所有権」はわたしたちにとって「危うい防具」だという根源的な事実である。主体と存在、そして所有。著者の重ねる省察は、われわれを西欧近代的思惟が形成してきた「鉄のトライアングル」の拘束から解き放ち、未来における「手放す自由、分ける責任」を展望する。
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